こんにちは。整体均整院・一宮本院の立石です。

不登校だった長男についてお話しをしていきたいと思います。

小学校の低学年から私は長男の状態を記録していました。

それを少しお話しいたします。

※小学校1年生

夏休みまでは。分団で元気よく登校できていた。

入学前の体験入学は、何をするのかわからない為、不安感が強くなり、教室に1人で

入れないことがあった。

親としては、まだ環境になれていないのだろうと深くは、考えていなかった。

 

夏休みに出校日から「学校に行きたくない」と家の中で逃げ回り、強引に車に乗せ連れて行った。それから、2学期は分団で歩いていけなくなり、無理やり登校させても中々教室に入れないことが多かった。

 

とにかく「子供が多いのが嫌だ!」と言い、母親と帰宅途中は、ランドセルをひきずったり教科書を投げ出したり、家では、プリント、教科書を破り捨てたこともあった。(只、授業で終わったもののみ破っていた様)

 

運動会の練習がはじまってから、みんなと一緒に着替えるのが恥ずかしい。みんな一緒で体操服が気持ち悪い。体操服が着ることができなくなった。

 

行けなくなってから「ロジャーラビットのぬいぐるみ」を学校に持っていくといい、教室でも自分の机のとなりに一緒において授業を受けていた。それが安心だったようです。

 

運動会の当日は、すごく嫌がり、特に50M走では、途中で大泣きになり負けたことをとても悔しがっていた。

 

文化祭も演劇だったが、やはり、嫌々で参加。うなぎの役だったが「紫色の衣装」を見て

「ウナギは黒だ!といい」納得できなかった様。

 

※小学校2年生

春休み明け、クラス替え、担任の先生が変わったこと等、彼にとって不安な気持ちが強くなり嫌がりは強く出てきました。

 

担任の先生の考えで、体育館での全校集会は、保健室待機になり少し安心したようです。

グランドで遊んでいる子供たちとの関わり(人が沢山いるのが苦手)や体育館での音が非常に敏感(その時くらいから「僕は音がダメなんだ。」と訴えるようになった。

 

夏のプールでは、みんなと一緒では、着替えができない。しかし、家で着替えてからそのままプールに行くこはできた。プールは、嫌いではない。

 

2年生の運動会は「ダンス」

 

これに関しては、練習も一生懸命にやっていました。

練習の時は、いいのですが、いざ運動会当日になると「やっぱりできない」からできない!

手こずりましたが、いざ本番になると、とても上手にできて周囲を驚かしました。

 

体育祭までは、ダンスの練習が楽しかった様で、学校に行くのもスムーズだったが、体育祭終了後、九九が始まったのがきっかけでクラスの雰囲気がガラッと変わり、不登校が激しくなってきた。

 

「僕は、学校でどうやった過ごしたらいいのか分からない」と家でも学校のもの、ランドセル、帽子、教科書のあたり散らすようになり、パニックになることも多くなってきた。

 

※児童相談所に相談、面接

昨年の11月位より母親が授業もつくようになる。

 

母親がいるため、自主的に行動することがなくなり、どんなことでも母親に依存。

 

只、健人と一緒にいるようになり以下の事が理解できた。

①子供たちの集まった声をすごく嫌がる

②自分の来ているフード付きのジャンバーを脱ごうとしない。(音や外界とのシャットアウト)そのままの状態でほとんどの授業を受けていた。

自分の興味のある授業(パソコン)は、フードをはずし、集中していた

③国語の音読、掛け算のみんなで唱える声、音楽の時間が特につらいようです。

④ノートを写すのが苦痛。どこから書いたらいいのか、間違って書いたらどうしようとか

先ず、不安が先行する。先生に聞く事もできず、またまた不安になる

 

児相の紹介で、R.Mクリニックを受診。

「広汎性発達障害」の高機能自閉症だろうとの医師の見解。(少し曖昧)

特別支援級は、どうかのこと。

 

学校側も「特別支援級はどうか?」と言われたが、夫婦で話合い、悩んだあげく

「普通級」でがんばろうと決まった。

 

 学校に母親がいると甘えが強く何もできなくなるので、スクールカウンセラー、担任、教頭との話合いの結果

 

2月より母親が付くのをやめる ヘッドフォンを使用開始

 

最初の1日は「パニック」だったが案外すんなりいった。

 

今現在は、「大縄跳び」が得意のようです。

なにか得意分野があると良いよう。

この頃の私たち夫婦は、長男に何がおきたのか全くわからず、只「学校にいかせなければならない。」と考えていた時期でした。

運動会、学芸会と行事に出させることで学校に慣れさせ、登校意欲を出させれば良いというような浅はかな考えでした。

しかしそれは、彼をどんどんと闇に向かっていく序章だったのです。

 

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