先回こころがすべての感情を支配するとお話しました。

それでは、こころを自由にするには、どうしたらよいのでしょうか?

「祇園精舎の鐘の声、諸々無常の響きあり・・・」

おなじみの平家物語の冒頭ですが、そもそも「無常」とは、どのような意味なのでしょうか?

例えば、怒りに関して考えて見ましょう。怒りの原因は、様々です。

毎日の仕事での人間関係、子育て、夫婦関係、嫁姑等 人生は毎日大変です。

しかし、その中で「気づき」を得て学ぶこと。

それが人生の目的のような気がします。

でも、怒るのは、いけないと思いつつ怒ってしまう。

これは難しいことだと思います。

ところが考え方ひとつで変わるのが「こころ」なんです。

無常とは、この現象世界のすべてのものは消滅して、とどまることなく常に変化しているということを指す。

つまり、どんなものも(こころ)変化し続ける。一定がないということです。

ですから、一時的の感情で怒りをだしても、それは、一時的なもので変化をする。

只、どのように変化をさせるかは、自分のこころ次第ということになります。

いつまでも根に持って1 週間、1 ヶ月、1 年、ひどいひとは、10 年も怒り続けている人がいます。

まさに「無知」というほかありません。

怒りをだしても結局損をするのは、「自分」です。

相手がいたとしても「自分」に原因があるのですから、

すべての原因は、自分にあると気づいて欲しいのです。

逆に、一時的に怒りが出たとしても、その感情をすぐさま違う対象、例えば

怒ってもしょうがない。

このまま自分が怒りの感情を持っていても自分が損をする。

それより澄み渡る青空を想像して、この空のようにおおらかな気持ちを持ち、

今、自分が怒っていることがいかに人間として小さく、おろかなのかと

感じることが出来れば、怒りの感情は消えてしまいます。

しかしやっぱり難しい。それが人生です。

でも「こころはいつでも自由」になります。

今日も最後まで、読んでいただきありがとうございます。

 

コメントを残す